世の中には収入が低くても億万長者になった人たちがいます!彼らはビジネスの天才でもなければ、投資の天才でもありません。普通の人でした( ゚Д゚)。しかし、「倹約してコツコツ投資を積み重ねた」ことは共通していました。
めちゃくちゃ普通ですが、これがお金持ちになる王道です( ゚Д゚)。今まで300冊以上の投資書籍を読みましたが、本質はみんな良い投資に淡々と積み重ねるだけでした。
でもこれが意外と難しいのです。投資は損をすると売りたくなって、利益が出ると売りたくなります。雨の日も風の日も淡々と積み重ねることができる人は、たとえ収入が低くても最後にお金持ちになることができるのです。
今回は低収入で億万長者になった人たちを4人紹介します。
アン・シェイバー

1940年代半ば、ある女性が長年勤めた仕事を退職しました。彼女の名前はアン・シェイバーです。
アンは公務員で年収は当時120万円ほどでした。とても努力家で優秀な女性でしたが、女性というだけで昇給したことはありませんでした。裕福とは言えないどころか、金融ブローカーにお金を預けて失敗したこともありました。
そして、アンが50歳で退職した当時、手元には退職金とこれまで貯めた貯金180万円が残りました。退職後の収入は年金の111万円のみです。ニューヨークの質素なアパートで年金生活に入ったのでした。
それから約50年が経ち、1995年にアンは亡くなりました。101歳という長寿を全うしたのです。アンの資産分与に関する遺言状は弁護士に託されました。しかし、アンの年収を考えれば資産はほとんど残っていないだろうと思われていました。
ところが実際にはアンが持っていた株式や債券の束を確認したところ、彼女の資産は約22億円にもなっていたのです。
アンは退職後、ブランド力のあるアメリカの一流企業に投資していました。そして、売却をせずに配当金も再投資に回していたのです。高度な金融知識があるわけではありませんでしたが、値動きを予測して頻繁に売ったり買ったりすることもなかったのです。
22億円もの遺産はアンの遺志に従い、全額が女性のための奨学金の設立に寄付された。アン・シャイバーはわずかな資金を複利の力を使うことで雪だるま式に増やし、20世紀の偉大な投資家の一人としてニューヨーク・タイムズ紙に取り上げられました。
ポール・ナヴォン

ポール・ナヴォンは貧しい家庭に生まれ、高校も行かず16歳からニュージャージー州のガラス容器工場で60年以上働いていました。
ポールの初給料はたった時給70円(75セント)!そして、最後まで時給約1,150円(11ドル)を超えることはありませんでした。
ポールは浪費を好まず、服は古着屋から購入して、姉と一緒に暮らすことで生活費を抑えていました。彼の唯一の贅沢はマクドナルドで朝食を食べることだったのです。
しかし、ポールは贅沢をしなかった代わりに、残りのお金を株式や賃貸物件の購入代金として投資に使っていました。さらに投資から得る収入と配当は再投資にまわして、そのサイクルを引退するまで続けていたのです。
最終的に、ポールは何百万ドルという資産を築き、2つの学校に合計2億2千万円の寄付をしたのです。
晩年、CBSニュースの取材にもポールは3ドルで購入したセーターを着て現れました。ポールは自分の人生に不満を抱いたことはないと答え、「私が投資をしているのは人々の生活を豊かにするためだ」と話したと言います。
ロナルド・リード

ロナルド・リードはバーモント州の貧しい農家で育ちました。ロナルドは家族で唯一高校まで通いました。両親は牧場を経営していましたが、お金がなかったため高校まで毎日6.4マイル(約10km)を歩くか、ヒッチハイクで通っていました。
高校卒業後、彼は第二次世界大戦中にアメリカ陸軍に入隊し、イタリアで軍事警官を務めました。そして、戦争終結後の1945年に軍隊から名誉退任したあとは、バーモント州に戻って兄とともに自動車修理工として働いたそうです。
しかし、会社が買収されて解雇されてしまったために、今度はガソリンスタンドに就職しました。そのまま定年までの34年間働き続けました。さらに1980年から17年間は非常勤の用務員の仕事をして過ごしていました。
ロナルドが働いている間、給料が日本円で30万円を超えた時は一度もなかったそうです。彼の収入は決して高くはありませんでしたが、非常に倹約的に生活し、配当を生み出す株に投資して一度買った株はずっと持ち続けていました。彼はテクノロジー会社のように理解できない会社の株を避け、優良企業への投資を続けていたのです。
ロナルドは年をとり、健康が悪化して地元の記念病院に入院したときに、財産整理として弁護士を雇いました。財産整理に雇われた弁護士は、ロナルドが古いコートに普通のネルシャツ、古い野球帽といった出で立ちであったことから、とても多くの資産を持っているとは思わなかったそうです。それは、もちろん町の人も同じでした。
ロナルドが2014年6月に亡くなったとき、資産はなんと800万ドル(8.8億円)になっていました。彼も倹約と投資でお金持ちになった多くの人と同様に病院や図書館に600万ドル(6.6億円)の寄付をおこなっています。
ロナルドは着ている服がぼろぼろだったという風貌から、ホームレスの億万長者と呼ばれることもあるそうです。人の良い性格だったため、同僚と良い関係を築き信頼も厚い人柄でした。
マーグリット・ディクソン

スコットランドで教師として働いていた彼女は小さなアパートに住んでいました。質素で倹約家だった彼女は72歳で亡くなりました。
しかし、彼女の資産はなんと約1億6千万円を超え、さらには家族が知らない銀行口座にも数千ポンドの遺産が残っていたのです。それだけでなく、彼女は慈善団体に約1億6千万円もの寄付をしていました。
小さなアパートに住んでいたにもかかわらず、彼女も投資から大きなリターンをあげていたのです。
低所得で億万長者になる人と高所得で破産してしまう人
紹介した4人の億万長者たちは、いずれも年収が350万円を超えることはありませんでした。それにも関わらず数億円を超える資産を築きました。彼らは『倹約してコツコツ投資を積み重ねた』ことで億万長者となりましたが、ケチだったわけではなく、人生に満足していました。それは彼らが最終的には資産のほとんどを寄付に使ったことからもわかります。
一方で世界には高所得を得ながら破産している人がいます。ジョニー・デップ(年俸55憶)やデニス・ロッドマン(年俸30億)は1年で一般的なサラリーマンの生涯年収の数十倍を稼ぎます。しかし、ジョニー・デップは月の生活費に2億円、デニス・ロッドマンはクラブ通いとアルコールの浪費癖が治らず破産状態に陥っています。
他にも高所得ながら破産した有名人は多くいます。フロイド・メイウェザー(プロボクサー)、シンディ・ローパー(ポップ歌手)、M.C.ハマー(ラップ歌手)、カート・シリング(元野球選手)、ラリー・キング(テレビ司会者)、ニコラス・ケイジ(俳優)、マイク・タイソン(元プロボクサー)、マイケル・ジャクソン(歌手)などです。
彼らは稼ぐ力に優れていましたが、派手な生活を好み、稼げなくなった瞬間に破産するような暮らしぶりでした。お金の心配が尽きない生活をしており、もっとお金が必要だと感じていました。
もちろん、生き方は人それぞれですから、どちらが良いという問題ではありません。結局は自分の暮らしに満足している人が1番豊かに暮らしています。
今回、紹介した収入が低くてもお金持ちになった人々の生活は質素で倹約的でした。彼らは自分の資産を他人に見せびらかしたり、見栄を張って豪華な暮らしをすることはありませんでした。誰が見ても億万長者には見えなかったのです。それは見方を変えると足ることを知っていたとも言えます。
つまり、彼らは倹約家でしたが我慢して生活していたわけではなく、足ることを知っていたのです。だからこそ、最後は資産の多くを社会のために寄付することができました。もし我慢して貯めたお金なら、人は手放すことができません。『これだけ我慢して貯めたのに、なぜ人にあげないといけないのだ!』という気持ちになるからです。
彼らは投資を行うことで安心感や満足感を感じていました。足るを知り、豊かな気持ちで投資できたからこそ人生にも豊かさを感じていたのではないかと思うのです。
私はこのブログで投資、事業、暮らしを豊かにするコツを発信しています。それは、苦しい気持ちで投資したり、我慢して仕事をしたり、足ることを知らない暮らしをすることが人生を貧しくすると考えているからです。逆に豊かさを感じる投資や夢中になれる仕事、十分に足ることを知る暮らしが人生を豊かにします。
このブログを見てくれたあなたの人生が豊かになりますように!また、元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏の記事もおすすめです。豊かさの本質について考えました( ゚Д゚)。

それでは今日もEnjoy Yourself!!